私の摂食障害回復までの記録

摂食障害発症から、ほぼ回復までの経過をご紹介しています。

大学中退◇過食嘔吐に日常生活が支配される◇

痩せて活発になっていたのは、本当に最初だけでした。


『食べても太らない、たくさん食べても嘔吐すれば良い、
こんな良いことはない。』と喜んでいました。


でも、食べる量は増え、頭の中は食べることしか
考えられなくなりました。
嘔吐が続くと胃が伸びきり、胃の中の食べ物を
すべて出し切ることが出来ない時もありました。
指には吐きダコと呼ばれる傷ができ、
口の両端は少し切れて、目は腫れ顔は浮腫んでいました。


次第に食べることしか考えられなくなり、学校へ行く気力もなくなっていきました。


その頃は病気を治す方法は、環境を変えることだと
意味もなく確信を持ってしまったのです。
やりがいのあることに集中すれば、
過食の衝動も起こる隙がなくなると、思っていました。


でも、摂食障害という病気は、私にとっては
そんなに簡単なものではありませんでした。


でも、あの頃の私にはこれしか救われる方法はない、
このままでは自分で死を選ぶしかないと思い、
すがるような気持ちでした。


そして、語学の勉強も兼ねて海外へ行こうと、
過酷な状況へ自分を追いやれば、
生活に追われ、過食の衝動も治まると
思ってしまいました。


そして、両親にも相談せずに大学を退学してしまったのです。

摂食障害になった過程を振り返って❷

最初は驚くほどに痩せていきましたが、だんだん食事制限だけでは痩せなくなり、運動も始めました。



ガレージで縄跳びを決めた回数を行い、部屋で体操、お風呂で熱いお湯に浸かりながら、脚の運動をしました。お風呂からあがると頭はぼんやりとしていました。
やはりしばらくは体重は減りましたが、また減らない壁に突き当たったのです。
「計画通りに痩せなければならないのに、どうしよう。」
予定通りに痩せていないと、翌日は学校へ行く気力もなくなる程までに体重へのこだわりはひどくなっていきました。
体重の増減に、日常生活のすべてが左右される様になってしまったのです。
そんなある日テレビで、あるモデルの方の発言が…。その時は意味が分かりませんでしたが、痩せ願望の酷い私には、ずっと心に残っていました。
そして、しばらく後になって過食嘔吐を知った時につながりました。
それが、摂食障害を加速させるきっかけになるとは、その時の私は思いもしませんでした。
私が過去に舞い戻って、この時の私に過食嘔吐の恐ろしさを教えてあげることができたなら、こんな地獄を味あわずに一番良い年代を過ごすことができただろうと、ふと思う時もあります。

摂食障害になった過程を振り返って❶

19歳の時にダイエットに執着を持ち始めました。
食べないダイエットで、半月程で5㎏も痩せました。その当時通っていた大学の同期生にも「痩せたね。」と言われ、とても嬉しく達成感も得ました。
上半身は細くなったのに、ふくらはぎがあまり細くならず、さらに痩せようとさらにダイエットに励みました。


寒天やりんごを中心にご飯を極力摂取しない食事制限でしたが、途中から体重が減らなくなり、運動も始めました。
この頃は体重が100g増えただけでも、堪えられなくなっていました。